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カテゴリ:04【報告+α】ポスティング運動 の記事リスト(エントリー順)

[第39回 合同ポスティングご報告]第233回(2018/1/27)*最後の西部節~リベラルとかデモクラシーを有り難がりなさんな

kage

2018/01/29 (Mon)

[第39回 合同ポスティングご報告]第233回(2018/1/27) 平成30年

合同ポスティング運動テンプレ99

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本日は11名の有志の参加を得て、

チラシA 近藤昭一落選チラシ(特アの工作員 近藤昭一)
チラシB 移民反対チラシ(『外国人雇用特区』に断固反対)


のポスティングが実施されました。

本日は今年初のポスティング活動となりますが、この名古屋でも前々日、前日と雪に見舞われるという記録的な寒波がやってきている最中のポスティングとなりました。しかし、そんな寒さの中でもポスティングをやっていると少しずつ体が温まってきて、楽しくポスティングをすることが出来ました。

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何でこんな気候の中、我々がポスティングに精を出すかというと、この男(近藤昭一)を落選させるためです。

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2018年 近藤昭一、新年のご挨拶
https://www.youtube.com/watch?v=q7XM1Dfdfbk

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*01
近藤昭一は上の動画で、「草の根民主主義」「原発ゼロ」「憲法9条を大切とする平和国家」「ジェンダーフリー」といったことを訴えています。近藤昭一はリベラルの会の代表を務めていることからも明らかですが、いわゆるリベラル派と呼ばれる国会議員です。このリベラルliberalという言葉ですが、これは一体どのような意味かと問われると、きちんと答えられる人は意外と少ないのかもしれません。

*02
さて、アメリカはリベラルを独特に定義しました。アメリカは黒人奴隷がいた社会ですが、奴隷を解放liberateする、に始まって、抑圧からの解放、貧困からの解放、といった具合に、「リベラル」に「解放」の意味付けをしたのです。

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チャンネル桜
夢を紡いで 西部邁
【夢を紡いで #2】最後の西部節〜リベラルとかデモクラシーを有り難がりなさんな[桜H30/1/26]
https://www.youtube.com/watch?v=fp2UbUdEx7Y&t=9s

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*03
よって、リベラル派の政策と言えば、低所得者への社会保障を充実させよう、といったものになります。そういえば、昨年に立憲民主党から出馬した時の近藤昭一のポスターにも「ともに生きる社会を!」と大きく書かれていましたね。

*04
上記のようなリベラル論がアメリカで流行ったのですが、歴史を辿ると、アメリカ建国よりも遥か昔、アメリカ的リベラル論とは真逆の考えが提出されていました。宗教革命の中心人物であったマルティン・ルター(1483〜1546年)は、「聖書に戻れ」と訴えました。ルターは人間の自由意志を否定し、神の命令たる聖書に沿って生きるべきだ、そこには人間の自由など入る余地もない、と説いたのです。

*05
人間は過ちの多い生き物ですが、そんな不完全な存在でありながらも様々な状況に何とか対応しながら生きるより他ありません。過去に前例のないような状況に不幸にも出くわしたならば、知恵を振り絞って何とかそれに対する解を出して困難に挑まなければならないのです。たとえそれが誤った解であったとしても、です。よって、人間の自由意志を完全否定したルターはあまりに現実に向き合っていなかったのでは、と言わざるを得ません。しかし、そんな不完全な存在たる人間に「全幅の自由を与えよ」というアメリカ的リベラル論もまた逆に放縦すぎるというものです。どちらも行き過ぎなのですし、人間の取り得る道はそれら二つの道を上手くバランスさせる以外にはなさそうです。

*06
そういったバランス感覚を持ち合わせていたのがデジデリウス・エラスムス(1466〜1536年)でした。「聖書も大事であるし、聖書に基づいてこれまでに醸成されてきた国の規範も大事だ。しかし、人間が様々な実践をする際には、そういった伝統をどのように解釈し、今ある状況--そこには、これまでにはない未知の状況も含まれる--にどうやって対処すべきかが問題であるし、そこには人間の自由意志というものが必要である」とエラスムスは説いたのです。ルターよりも柔軟で、説得力がありますね。

*07
そして、ホセ・オルテガ・イ・ガゼット(1883〜1955年)は、そのようなバランス感覚を次のごとく表現したのです。「真の自由主義が、歴史主義であることを発見したのはイギリス人である」と。つまり、「自由」とは、一見して己の欲望を満たさんとする身勝手で独りよがりの快楽を追及する行為のごとく捉えられがちであるが、そうじゃない。真の「自由」とは、歴史--すなわち、これまでに先人が培ってきた伝統や価値観--に根ざしたものでなくてはならないし、今を生きる人間が過去を無視して勝手に「自由」を謳歌することなど出来ないのである、とオルテガは言い放ったのです。これこそまさに至言ではないですか。

*08
イギリスは長い歴史を持つ国であり、これまでに培われてきた歴史・伝統が豊富にある国です。それらの中には、今の時代からしたら不合理なものも当然のことながら含まれるでしょう。しかし、今を生きる人間がそのような不合理を「無駄だ」とばっさりと切り捨てるわけにもいかないのです。なぜなら、今を生きる人間とて限られた状況の中でのみ生かされている不完全な存在ですし、後世の人間が冷静に振り返れば今を生きる人間が今まさに不合理を働いているかもしれないのです。今を生きる人間に万能の力を与えてしまったら、それこそ何もかも絶えず塗り替えられてしまうというニヒリズムへと堕落してしまいますし、それは歴史の忘却に他なりません。

*09
哀しいことに、アメリカはそのような歴史を持たない国なのです。一方、日本は世界で一番長い歴史を持つ国ではありますが、先の大戦で歴史なきアメリカにたった一回負けただけで歴史を忘れてしまい、今を生きる俺たちが一番だ、と言わんばかりに新しいものに飛びつくという見苦しい人種となり果ててしまったのです。そして、政治においても「何々改革だ〜」と次から次へと新しいものに飛びつき、しかもそれら改革のほとんど全てが失敗に終わったのです。そんな馬鹿なことを散々にやり続けたのが、この30年間に渡る平成という時代なのです。

*10
今を生きる我々は、先人の意思を十分に尊重しながら意思決定しなければなりませんし、エラスムスやオルテガの言うことはごもっともです。そしてさらに、「今を生きる人間」といっても、それこそ人の数と同数の様々な意見がありますし、そういった種々雑多な意見を集約して少しでもましな解答に辿り着くにはどうしたらよいかを考えなければなりませんが、そこでデモクラシーの登場と相成るのです。

*11
デモクラシーdemocracyはよく「民主主義」と訳されますし、近藤昭一も好きな言葉ですね。しかし、ここに現れる「主」という漢字、この意味を考えると実は非常に恐ろしいものがあるのです。「主」は「主権」の意味でありますし、現行憲法にも「主権は国民に存する」とあります。現行憲法の原文(英文)では主権sovereign powerとなっていますが、このsovereignとはほとんど宗教用語であって、「崇高なる」「絶対なる」「超越的なる」といった意味です。しかし、今を生きる我々が「崇高」とは一体どういった了見でしょうか。今を生きる我々は、過去を生きた人々、及び、これから生きるであろう人々の間のバトンを渡すという(長い歴史の視点に立ってみるとほんの一瞬の過渡的な)存在に過ぎないのです。そんな我々が、神をも畏れぬ力などあるわけないではありませんか!「民主主義」とは、実は非常に傲慢な物言いなのです。

*12
democracyのdemoとは民衆(ギリシア語でいうところのdemos)という意味ですし、デモクラシーdemocracyとは本来は「民衆政治」と訳すべきだったのです。すなわち、大勢の民衆が物事を決める際には多数決で決めよう、というだけの話なのです。ここにはsovereignといった畏れ多いニュアンスは全くありません。つまり、単なる「方式」に過ぎないのです。

*13
ここで留意すべきは、多数派がいつも正しいとは限らないということです。もしも多数派に正当性が宿るとするならば、民主主義を取り入れた社会は今頃は天国へと近づいているはずですが、実際はその逆の地獄へと向かっているとなると、多数派はおおいに間違いうるということです。そして、民衆とは非常に厄介な性質を宿していて、嘘話(デマゴギーdemagoguery)に易々とたぶらかされる愚かな存在なのです。つまり、民衆(demos)は容易に衆愚(ギリシア語でいうところのochlos)に転じ得るのです。実際、マスメディアの作り出す嘘話に踊らされて、世論調査の結果など一週間もすればがらっと変わってしまうではないですか。それが民主主義の実態なのです。民主主義など、その程度のものなのです。

*14
ですから、民主主義において必要なのは、議会における活発な議論であって、人間は不完全であるがゆえに他者との議論を通じて少しでもまともな道を選ばんと努力すべきなのです。また、一度決めたことであっても時代遅れとなったならばそれを見直すという地道な努力を延々と続ける宿命にあるのであって、なにも民主主義そのものがキラキラと光る素晴らしいものという話ではないのです。民主主義はあくまで手続きであり、何よりも議論の中身が問われるのです。そしてさらに言うと、議会で議論する人間を選出する側の人間が賢明でなければ、議員として相応しくない人物が議員に選ばれてしまって民主主義は有効に機能しないのです。(←近藤昭一に一票を投じた愛知3区の有権者の皆様、わかっていますか?

*15
ここで、立憲民主党にはせ参じた近藤昭一をはじめとする政治家に言いたい。あなた方こそ、例えば安保法制の時に「戦争法案」などとレッテルを貼って議会における議論を、すなわち、民主主義を否定してきた方々なのではないのですか?「民主主義はすばらしい」などと民衆におべっかを使うその一方で、その民衆に選ばれし者が、議論する場であるところの議会を冒涜したのであり、それはすなわち議員による議会の否定、議員の自殺行為なのだということを肝に銘じていただきたい。

*16
以上のようなことに思いを馳せたならば、「リベラル」だの「デモクラシー」だのといった言葉なんぞ、全く有り難がって頂戴するような代物ではないということが簡単に理解できるのではないでしょうか。近藤昭一君には(馬の耳に念仏とは知りながらも)是非とも老師ニシベの言葉に耳を傾けていただきたい、と、一介の草莽の身ではありますがここにアドバイス申し上げます。

*********

先日、西部邁先生が逝去されました。
今回、西部先生が(おそらく)最期に出演した動画を見ながら、自分なりに(自身の創作も適宜挿入しながら)活字にした次第です。西部先生にはいろいろなことを教わりました。西部先生の肉体は滅んだとはいえ、(本物の)思想家の思想というものは肉体亡き後も人々の精神に働きかけて生き続けるものなのです。その思想を継承するのが残された者の使命であります。西部先生、今まで本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。

(報告者Y.U)

[第39回 合同ポスティングご報告]第233回(2018/1/27)平成30年

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[第38回 合同ポスティングご報告]第231回(2017/12/23)*教育勅語は国民の「徳」を育てた

kage

2017/12/25 (Mon)

[第38回 合同ポスティングご報告]第231回(2017/12/23) 平成29年

合同ポスティング運動テンプレ99

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本日は9名の有志の参加を得て、

・「教育勅語」の周知チラシ(ポスティング告知ページ

のポスティングが実施されました。


*チラシA 教育勅語は国民の「徳」を育てた
*チラシB 世界の教育勅語 日本が失った道徳

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本日は我々の今年最後の活動となりましたが、天長節(天皇誕生日)の本日に、明治天皇が国民に呼び掛けられた「教育勅語」の周知ポスティングをさせていただいたのは、我々にとって年の締めくくりに相応しい活動になったと思います。同じ頃、東京において『12.23 天皇誕生日・奉祝「日の丸行進」』が行われました。

[チャンネル桜 Youtube]12.23 天皇誕生日・奉祝「日の丸行進」

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日本の初の憲法として大日本帝国憲法が発布されましたが、ほぼ同時期に教育勅語も発布されました。憲法は法律でありますし、そこに日本人の価値観を記すのは相応しくありません。よって、そういった価値観を示すために教育勅語が作られました。教育勅語は明治天皇のお言葉でありますが、そのような形で日本人の価値観・道徳観を国民に示して教育したのは素晴らしいアイデアだったと思います。

教育勅語には日本人がこれまでに大切にしてきた徳目が書かれていますし、戦前の日本人は教育勅語によって人としての生き方・あり方を自然とわきまえていたと言われています。しかし、GHQは日本人の弱体化を目論んで教育勅語による教育の廃止を命じたために、戦後日本人は教育勅語に触れる機会を失ってしまいました。

さて今年は、いわゆる森友学園問題のお陰(?)で「教育勅語」についての議論が盛り上がった年でした。森友学園は園児に教育勅語を暗唱させていましたが、これについて左翼側は「教育勅語は日本を軍国主義に導いた元凶だ。園児に教育勅語を暗唱させるなんてけしからん」と批判し、それに対して保守側は「教育勅語は日本ばかりか世界に範を示す普遍的な道徳を説いた日本の宝だ。園児に教育勅語を暗唱させて何が悪い」とやり返します。私はもちろん、教育勅語は素晴らしいと考える立場ですが、しかし、教育勅語を暗唱できるようにすると素晴らしい人間になるかと言えば、人間とはそんな単純なものではないとも思うのです。

教育勅語が発布された明治23年から昭和20年の敗戦までの間、「修身」と呼ばれる科目が学校で教えられていました。戦後は「道徳」という名称に変わってしまいましたが、教育勅語と同様に修身の教科書にも様々な徳目が書かれており、現代においても読み物として非常に面白い内容となっています。
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国民の修身 渡辺昇一
国民の修身
渡部 昇一【監修】産經新聞出版(2012/07発売)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784819111706
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そこには、例えば「正直」という徳目が説かれていて、「正直は一生の宝」と記されています。確かに、世の中には自分の非を認めない不正直な人で溢れていますし、正直なのは良いことではありましょう。しかし、例えば目の前に不治の病で横たわっている人がいたとして、「あなたはもう駄目です」と正直に自分の考えを吐露するのが人としての道かといえば、決してそんなことはありません。相手を元気づけるために「嘘」をつくのが時としては美徳にもなるのです。何事もTPO次第ですし、一般的には行使してはならないとされる暴力にしても、自分や家族を守るためには暴力を行使しなければならない場面だってあるわけです。

数学の公式を覚えれば数学の問題は解けるかもしれませんが、教育勅語や修身の徳目を暗記したからといってまともな道を歩めるわけではありませんし、実践しながら常に自らを省みて経験を積まなければなりません。実践が非常に重要ということが教育の、いや、人生の本質なのだと思います。教育の場において教育勅語や日本の歴史を教えるのは大切なことではありますが、それだけでは修まりません。日々を一生懸命に真面目に実践しながら身を修めるしかないのです。

戦後、民主主義だの国民主権だのと散々に喧伝されてきました。その一方で、政治について無関心を決め込んでからかい言葉を投げつけるのが何か洒落た振る舞いであるかのように見なされる風潮が蔓延しましたが、非常に困ったことだと思います。また、政治に関心を持つのは非常に大切なことではありますが、いくら高尚な政治理念を持っていたとしても実践に移さなければ何にもなりません。政治とは生死にもかかわる問題ですが、生きる上での関心であれば実践にも関心を持たなければならないのは当然です。かつて、ケインズという経済学者は「国民が政治に無関心がないどころか何の政党や政治団体にも入っていないのは恥ずかしいことだと思う。自分は残念ながらどこの政党にも所属したことはないし、入れない。だけれども、そういった自分を非常に恥ずかしいと思っている」と述べたのですが、これこそが真っ当な態度ではないでしょうか。

自分をそんな惨めな存在に追い込みたくないというのが私の原点でありますし、教育勅語の12の徳目の中でもラストに位置する最も重要な徳目「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)」を実践せんと構えて活動しているのです。

今年一年、いろいろと活動をしてきました。改めるべき点は改めて、来年の活動に上手くつなげていきたいと思います。今年、行動を共にしてくださいました全ての人に感謝申し上げます。そして、一緒に活動する仲間が増えればもっとうれしく思います。このブログを読んでいるまだ見ぬあなた、来年は我々と一緒に活動してみませんか。

それでは、良いお年をお迎えください。

(報告者 Y.U)

[第38回 合同ポスティングご報告]第231回(2017/12/23)平成29年

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[第37回 合同ポスティングご報告]第229回(2017/11/27)*教育勅語

kage

2017/11/28 (Tue)

[第37回 合同ポスティングご報告]第229回(2017/11/27)

合同ポスティング運動テンプレ99

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本日は12名の有志の参加を得て、

・外国人雇用特区反対チラシ
・春節祭開催反対チラシ

のポスティングが実施されました。



【春節祭反対チラシ】
2013年 Youtube【有本香】中国の日本乗っ取り計画の実情!文字起こし
20170109183403b15_20171128022546e9c.jpg
2017年 名古屋 春節祭 反対運動
2015年 犬山 春節祭 反対運動
2014年 犬山 春節祭 反対運動 報告
2013年 名古屋 春節祭 反対運動

本日のポスティングの告知の際、教育勅語のチラシをポスティングするとお知らせしましたが、都合により今回は教育勅語のチラシを見送ってその代わりに春節祭開催反対チラシのポスティングをしました。
来年度は1月6日(土)〜8日(月)の3日間に春節祭が催されますが、我々も例年通り抗議を行う予定です。詳細が決まり次第、本ブログにて告知させていただきます。


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教育勅語には伝統的な日本人の12の徳目が書かれていますが、現在は学校で教育勅語を教えませんし、多くの人は「教育勅語は古臭くて、軍国主義に走った元なんでしょ?」程度の認識なのだろうと思います。しかし、そこに書かれていることは、現在にも十分に通用する普遍的なことばかりなのです。教育勅語が軍国主義を育てたなどは全くの誤りですし、たとえ戦争中といえども敵国民を思いやる日本人の国民性を育てた、世界に誇るべき日本の宝です。今後、我々がポスティングする教育勅語のチラシを楽しみにしてください。

【凸電 抗議!】あのビーチ前川(前川喜平=元文科省事務次官)が西尾市で講演会【西尾市&碧南市の教育委員会が後援】

さて、日本における教育行政の最高機関といえば文科省ですが、先日、本ブログでもお知らせした通り、12月3日(日)に前文部科学事務次官の前川喜平氏が愛知県は西尾市にやってきて講演会が開かれます。前川氏は「あなたは今、自分に正直に生きていますか?キミは今、自分らしく生きているかい?」とのメッセージを発しているようですが、この前川氏は、週4回の出会い系バー通いをしていたとされる人物であり、文部科学事務次官の立場でありながら何故そのような場所に入り浸るのかとの追及に対して「女性の貧困を実地視察調査した」と言ってのけた男です。西尾市と碧南市の教育委員会がそんな人物の講演会の後援をするというのは一体どのような了見なのでしょうか?我々はこれを見逃すわけにはいきません。

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ビーチ前川講演会 援交
http://www.sankei.com/politics/news/170530/plt1705300016-n1.html
ビーチ前川 援交
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前川氏が行っていたとされる行為は「援助交際」と呼ばれるものです。実際に前川氏がどこまでの行為に及んだのかはわかりませんが、ここで「人間にはどこまでの自由が許されるのか?援助交際は許される自由の範囲内か?」という一般論について考えてみましょう。よく、「他人に迷惑をかけるな」といったことが言われます。これを言い換えると「他人に迷惑をかけるような自由は許されない」となりますし、さらにこの考えを推し進めると「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい、という自由が人間にはある」といった自由論にも発展するでしょう。一例を挙げて、暴走族が爆音を立てて公道を走り回るという行為は許される自由の範囲内かどうかを考えてみましょう。そのような行為は明らかに他人に迷惑をかけていますし、いくら爆音を立てて走り回るのが当人にとっては快感であるとしてもそんな自由は許されない、との意見にはほとんどの人間が賛同すると思います。実はこの「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい、という自由が人間にはある」という自由論は、イギリスの哲学者であり経済学者でもあったジョン・スチュアート・ミルが主張したものです。

なるほど、ミルの自由論はもっともらしく聞こえるのですが、ではその自由論に沿って「援助交際」は許される自由の範囲内かどうかを考えてみましょう。街角において、大人と少女の間で三万だ、五万だ、というやりとりの後に契約が成り立ち、大人の方は己の欲望を満たし、少女の方はしばしの小遣いにありつけるというわけですが、この場合、需要と供給のバランスがとれた上での行為と言えますし、一見して誰にも迷惑はかけていません。すると、ミルの自由論から言えば、援助交際は許される自由の範囲内ということになってしまいます。援助交際という行為に対して多くの人間が感じる不道徳感をいかにして説明するかとあがいてみても、ミルの自由論では上手く説明できないのです。「四の五の理屈はいらない。大人たる者が少女を買うことなどしてはいけないし、昔からそのように決まっているのだ」と叫んだとしても、少女に「私は誰にも迷惑をかけてはいませんよ!」と返されれば返す言葉もないでしょう。

ところが、「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい、などという自由論は許されない」と言い放った人物が過去にいるのです。かの有名な福沢諭吉です。福沢は「他人に迷惑をかけなければよい」ということにして仕出かした己の振る舞いが、将来に生まれてくるであろう子孫に対して迷惑をかけてはいやしまいか、少しは考えてみろ、と言うのです。つまり、今を生きる我々が、社会を援助交際がはびこるという乱雑な状態にしてしまったことについて子孫に申し訳が立つのかどうか、という視点が必要であり、国柄を守るためには、今を生きる人間のみならず、将来に生きる人間にも思いを馳せるのが真っ当な人間のあり方である、と福沢は説くのですが、これはその通りでしょう。

ミルの自由論にしても、「他人」を「現在に生きる人間のみならず、将来に生きる人間をも含む」として捉えれば、ミルの言説にも正当性が宿るというわけです(ミルがそこまでの洞察をしていたのかどうかは別の話です)。すなわち、人間は、過去から未来へと続く歴史の連続性に思い至ることではじめて真っ当な感覚を持ち得るのです。そのように考えると、援助交際なるものが許される自由の範囲内かどうか、といった問いにも簡単に答えられることでしょう。

前文部科学事務次官の前川氏には次のように問いたいのです。あなたの言う「自分に正直」とは「自分の欲望に正直」という意味ではないのですか?確かに、中年の男性からすれば、街角に溢れる少女と契りを結びたいという誘惑は強烈ではありましょうが(寧ろ、肉体的には健全でありましょう)、そんな「自由」を行使することが子孫に対して迷惑をかけているという自覚を持つべきではないのですか、前文部科学事務次官殿。文科省という、教育行政の最高機関に勤めていた人間が「自由」を履き違えてそんな自由を行使していたのは恥ずべき振る舞いではないのか、一介の草莽に過ぎない私のような者ですら、そのように思うのです。

何はともあれ、前川氏が講演会でどのようなお話をされるのか興味津々です。講演会に参加される方は、是非とも感想を教えてくださいませ。

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国民の道徳 西部 邁【著】/新しい歴史教科書をつくる会【編】
国民の道徳
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(報告者 Y.U)

[第37回 合同ポスティングご報告]第229回(2017/11/27)*教育勅語

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[第36回 合同ポスティングご報告]第227回(2017/10/28)*「PB黒字化目標の破棄」

kage

2017/10/31 (Tue)

*「PB黒字化目標の破棄」

[第36回 合同ポスティングご報告]第227回(2017/10/28)

本日は7名の有志の参加を得て、

・11/12の大型街宣チラシ

のポスティングが実施されました・・・と書きたいところなのですが、
雨天のためにポスティングは中止となってしました。
4000枚刷った大型街宣チラシは、合同では撒く機会がなくなってしまいましたが、
有志の方に個別に撒いていただきます。*次回の活動
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*「PB黒字化目標の破棄」

さて、先日の衆議院選挙で、自民党が大勝しました。
マスゴミがでっち上げたいわゆる森友・加計問題で支持率が一時は急落しましたが、支持率がここまで回復したのはとりあえずは良しとしたいものです。しかし、我々保守が支持する安倍政権であっても、言うべきことはしっかりと言っていかなければなりません。

安倍政権に進言すべき一丁目一番地は「PB黒字化目標の破棄」ではないでしょうか。

【Front Japan 桜】財務省が日本を滅ぼした / 精神科から見た医療費の問題[桜H29/10/27]
https://www.youtube.com/watch?v=JDUMJ94Tpks&t=1500s


■三橋貴明ブログ2017.10.25 財務省の攻勢(前編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12322632608.html

■三橋貴明ブログ2017.10.26 財務省の攻勢(中編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12322902776.html

■三橋貴明ブログ2017.10.27 財務省の攻勢(後編)
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12323174159.html

「PB」とは「プライマリーバランス」のことであり、政府の収入が支出を上回ると黒字となります。すなわち、「PB黒字化目標」とは政府の借金を減らすということであり、これを財務省が躍起になって主張しているのです。

「政府の借金を減らすのはいいことなんじゃないの」と考える方も多いでしょうが、この「PB黒字化目標」が日本の経済成長を阻み、日本を小国化させる桎梏となっているのです。今のまま、経済が成長せずに軍事費も増やせないといったことが続けば、いずれは日本は中国の属国となるしかありません。そんな未来は真っ平御免であるならば、日本国民は経済を理解して声を上げていかなければなりません。

さて、私達は、働いて所得を得、その所得でモノやサービスを購入します。ここまでは誰でも理解できると思いますが、これが何を意味しているかを真に理解している人が(政治家も含めて)意外と少ないのです。

「私」が働いて所得を得るということは、「私」がモノやサービスといった付加価値を生産し、その付加価値を「私以外の誰か」が消費あるいは投資の対象としてお金を支出するということです。逆に、「私」がモノやサービスを購入するということは、「私以外の誰か」が生産した付加価値を「私」が消費あるいは投資の対象としてお金を支出するということです。つまり「私」は、生産すると同時に消費・投資を行っているのです。

「私以外の誰か」とは、家計・企業・政府・外国といった経済主体なのですが、そういった経済主体が消費や投資を増やせば、誰かの所得が増えますし、逆に消費や投資を減らしたら、誰かの所得が減るのです。つまり、お金とは使ったら消えてしまうものではなく、お金を払った側から見ると「支出」であるし、お金を受け取った側から見ると「所得」なのです。このことから、「政府という経済主体が支出を削ると、その分誰かの所得が減る」という事実が当然のことながら導かれます。

民主党時代、事業仕分けと称して「無駄な事業」が廃止され、それに国民は拍手喝采しました。もちろん、国民から税金を徴収する政府がお金を使うからには賢く使わなければなりません。無駄な公共事業というのも確かにあるのでしょう。一部の人間に富が偏在するという格差も是正されなければなりません。が、そうやって支出を削ることで減るのは国民の所得なのです。それを知って国民は拍手喝采していたのでしょうか?おそらく、自分の足が引っ張られることにも気づかずに、「無駄に飯を食ってる奴の食いぶちが減ったわい」とサディスティックな快感を得ていたのではないでしょうか。政府が支出を減らせばその分だけ誰かの所得が減るというのは絶対に避けられないという経済の根本原理を忘れてはならないのです。

選挙の際には公約に「身を切る改革」などと称して歳出削減を売りにする政党・候補者が必ず出てきますが、その意味は「国民の所得を下げる」ということなのです。「国民の所得を下げる」ことを公約にする候補者は絶対に当選しないでしょう。しかし、「身を切る改革」と聞くとコロッと騙されてしまうのです。政治家とならんとする人間でも、経済の根本を全く理解していないわけですが、自民党にもそういった議員が少なからずいますし、右も左も、どの政党も積極財政を謳わないという非常にお寒い状況なのです。経済が良くならないのも当然と言えるでしょう。

ところで、お金には「生きたお金」と「死んだお金」があります。英語でカッコよく言うと、前者はアクティブ・マネー、後者はデッド・マネーとなりますが、消費・投資に使われるお金は「生きている」、銀行に預けられたりして消費・投資に使われないお金は「死んでいる」、というのがその定義です。また、アクティブ・マネーが飛び交う市場を実態市場、デッド・マネーが積まれる市場を金融市場と呼びます。実態市場においては、食品や車などの「財」や接客や介護などの「サービス」が商品として取引されています。一方、「株」や「債権」等の金融商品を取り扱うのが金融市場で、例えば市中銀行の預貯金は金融市場のお金となります。金融市場にお金を供給するのが日本銀行です。


図001_ukai2017

+--------+ 負債・借金(預金引き出し)+--------+ +--------+
| |<--------------------------| |マネー供給| |
|実態市場| |金融市場|<---------|日本銀行|
| g |-------------------------->| r | | |
+--------+ 貯金(借金返済) +--------+ +--------+

実態市場が活性化、すなわち、消費や投資のお金が増えれば、私達の所得も上がります。逆に、消費や投資のお金が減れば、私達の所得も減ります。好景気だった昭和の時代は、銀行にお金を預けて利子が増えるのを待つよりも、銀行からお金を借りてでも商売をした方がトータルでは儲かるという時代でした。

逆に不景気な平成の時代は、銀行からお金を借りて商売しても赤字になる可能性が高いので借金のインセンティブが働かず、たとえ低金利だとしても銀行に預けるしかない、となります。つまり、インフレ時代はお金が金融市場から実態市場に移動し、デフレ時代は実態市場から金融市場にお金が移動するのです。実態市場からお金がなくなるデフレの時代は、消費や投資が少なくなって、それに伴い政府の税収も減ります。金融市場にも「金融所得課税」といったものはありますがそれらは税収のほんの一部ですし、なんといっても実態市場で飛び交うお金が経済を活性化させて税収も増やすのです。ですから、デフレから脱却するにはいかにして金融市場から実態市場にお金を回すかを考えればよいのです。

ここで、さらに「利益率」という用語を登場させてわかりやすく説明しましょう。金融市場にお金を預ければ、利子によってお金が増えます。その率をrとしましょう。実態市場で商売をやって商売が上手くいけば黒字経営となってお金が増えます。その率をgとしましょう。g > rとなれば、人々は銀行からお金を借りてでも商売を始めようとするでしょう。なぜなら、そちらの方がお金が増えるからです。逆にg < rとなれば、商売をするよりも大人しく銀行にお金を預けておこうとするでしょう。

アベノミクスの第一の矢「金融政策」は、日銀が金融市場に大量のお金を流入させてrを下げようとするものです。金融市場のお金が増えるとお金の相対価値が下がってrも下がりますが、ゼロ金利の現在ではもうこれ以上はrを下げることはできません。つまり、第一の矢だけではお金は実態市場に回らないのです。そこで第二の矢「財政政策」の登場です。政府が実態市場において直接消費や投資をすることで、実態市場にお金を回すのです。直接実態市場に手を出すのですから、これは効きます。しかし、そうするには政府は借金をしなければなりません。これを財務省が目の敵にするのです。

商売して儲けるにしても、最初は借金をして必要なものを買い揃えなければ始まりません。そんな借金を恐れていては商売も何もできないのですが、商売が順調にいけば次第に黒字となり、いずれは借金を返せる日が来るでしょう。一時の赤字の覚悟が必要なのですが、政府にしたって同じことです。デフレ下の現在、民間が借金をしてまで商売をする気にならないとすると、政府が借金(国債発行)をしてでもまずは実態市場を活性化しなければならないのです。その間は赤字となりますが、そうやって政府が需要を増やしていけば、民間も借金をしてでも商売をしようとする気に次第になってくるでしょう。銀行に預けるよりも儲かるとなると(すなわち、g > rとなると)、銀行にお金を預けるのは損だからです。そうやって民間経済に火がついてきたら、政府は少しづつ実態市場における消費・投資を減らしていけばよいのです。最終的には、政府が頑張らなくても民間の力だけで実態市場にお金が回り続けるでしょうし(但し、そんな好景気であっても政府のやるべき仕事がなくなるわけではありませんが)、政府に多くの税収が入って結局はPBも改善するのです。今の政府に必要なのは、1〜2年の赤字の覚悟なのです。

消費税率を上げると確かに税収が増えますが、その分を政府が消費・投資に回さずに借金返済に充ててしまうと、実態市場から金融市場にお金が吸い取られることになってしまいます。安倍総理は、消費税を8%から10%に引き上げて得られた5兆円を教育に回すとか言っていますが、それでも5兆円の内の2兆円は負債返済に充てるとなると2兆円分のお金が実態市場から消えてしまいますし、そうなると今よりも景気が落ち込むのは目に見えています。結局、PBにこだわっている限り、経済は良くならないのです。

自民党の中には、こういったことを理解している議員が(特に若手に)多いようです。しかし、小選挙区制度が導入されている現在、衆議院の各選挙区の国会議員たちは、政党の中枢部に逆らうと「公認」を貰えずに落選してしまうという恐怖感があるのです。そういった議員を後押しするためにも、我々草莽の側がしっかりと声を上げていかなければなりません。日本を守るのは議員だけの仕事ではなく、国民全体の仕事なのです。

(報告者 Y.U)

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*次回の活動*

【大型街宣・名古屋】
11月12日(日)午後2時より
場所:名古屋駅東口


▶憲法改正の実現!(頑張れ安倍政権!マスコミに負けるな!)
▶日本国民よ!マスコミの嘘に騙されるな!
(ワイドショーは肝心なことは伝えない)
▶メディアと反日勢力による悪質な印象操作
(ねつ造、隠ぺい、誘導、これは報道テロだ!)


【頑張れ日本!全国行動委員会 愛知県本部】
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[第35回 合同ポスティングご報告]第226回(2017/9/23)

kage

2017/09/26 (Tue)

[第35回 合同ポスティングご報告]第226回(2017/9/23)

本日は9名の有志の参加を得て、

・衆議院議員(民進党)近藤昭一 落選チラシ
http://ganbarenihonaichi.blog24.fc2.com/blog-entry-695.html
・映画「南京の真実−支那事変と中国共産党」名古屋市上映会案内(H29.10.01 栄ガスビル5F)
http://ganbarenihonaichi.blog24.fc2.com/blog-entry-727.html

のポスティングが実施されました。

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評論家の西部邁氏は、1年以上も電車に乗ったことがないそうです。

電車の代わりにタクシーを使うので出費も結構な額となるでしょうが、なにゆえに電車恐怖症に罹ってしまったのでしょうか?その理由は唯一つ、スマホ人の群れを眼にすると吐き気が催されてならないのだそうです。

電車の乗客の8割がスマホをもてあそび、さらにそのうちの8割がゲームとやらをやっているそうです。すると、乗客の半数以上がゲームをやっている計算となります。「死んでも治らぬ莫迦者たちに囲まれている」という不愉快な気分だけは絶対に避けたく、タクシーを使わざるを得ない、というのが西部氏の感覚なのですが、私には西部氏の気持ちが非常によくわかります。

ヨハン・ホイジンガはその著『ホモ・ルーデンス』(あそぶ者としての人間)において、あそびは「非日常の時空」で演じられるべきものであり、「真剣なあそび」がピュエリリズム(文化的小児病)を免れるには、「厳格なルール」の下に演じられるとともに「聖なる感覚」を伴うものでなければならない、と論じています。人間が生きていく上であそびは絶対に必要ではあります。しかしそれは「聖なる時間」であって、電車の中で見ず知らずの他人に向かってそんな姿を晒すのは恥ずかしいという感覚を持つのが公心を備えたまともな人間でありましょう。すなわち、電車に群れるスマホ人は、文化的小児病患者の集まり以外の何物でもないのです。

しかし、スマホをニュースを読んだり等の情報収集に使う人もいますし、新聞の代わりにスマホになったと考えればスマホを覗いても構わないだろうという意見もあるでしょう。また、そんなことを言い始めたら電車の中で新聞や書物も読めないではないか!とのお叱りを受けそうです。しかし、それでも電車の中でスマホを覗いたらいけないのです。

その新聞のどの欄を見るか、その作者のどの本を買うか、という自主的選択の姿勢が前スマホ人には多少ともあったのですが、スマホ人は適当にボタンを押して出てきた情報に受け身で反応しているに過ぎないと察せられるのです。つまり、能動(積極)と受動(消極)の違いがそこには歴然と存在しており、前スマホ人には「自分が何を読んでいるか」について車内の公衆の前に現わす姿勢がありました。よって、前スマホ人には公心の一片は残っていたと言えますが、スマホ人はなけなしの公心も蒸発しきってしまって私心のみに生きているのです。

戦後日本は「公」が迷走した社会と言えるでしょう。

電車の中でスマホを使って喋ったりメールするのが根本的に駄目な理由は、スマホの中にのめり込むことによって、スマホの相手以外との他者とのコミュニケーションを遮断しているからです。もしも、電話ボックス(最近はお目にかかりませんが)の中であれば、そこはプライベートな場所ですからいくら私的な話をしてもいっこうに構いません。しかし、電車に乗ったり道を歩くときにはそうはいかないのです。ヨーロッパの中流の階級がやっていることですが、可愛い女の子の手を引いた妙齢の奥さんが向こうからやってきて、そこでたまたま目が合えば男たるものはさりげなく笑顔で返さなければいけないのです。その笑顔に込めた挨拶の意味は、「可愛いお嬢さんの手を引いてお幸せそうで結構なことでございますね」ということです。口に出して挨拶しなくとも、道路という公の場においてコミュニケーションが成り立っているのです。

ところがスマホの場合は、スマホを耳にした途端に完全に自分の世界にはまり込んでしまって外部とのコミュニケーションを遮断してしまいます。スマホを持つということは、他者とのコミュニケーションを閉ざしてプライベートな世界に籠りますという合図となってしまうのです。とは言っても、緊急時で連絡をとらざるを得なかったり、スマホに届いたメールに即座に返信しなければならないといったシチュエーションもあるでしょうが、「スマホを人前でいじっている自分は恥ずかしい」といった自覚は忘れたくないものです。

国民は公心を忘れてはなりませんが、その国民の公心を代表するものとして政府があり、そこで働く政治家はまさしく国民の代表であるのです。それゆえに、政治家は一般人よりも「公」を優先すべきでしょうし、それだけの覚悟が必要な職種のはずです。しかし、残念ながら国会にもスマホ人が生息しているようです。

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◎下地幹郎・日本維新の会【国会中継 衆議院 沖縄北方特別委員会】平成29年5月24日
https://www.youtube.com/watch?v=jWf5nxq-TOg


まとめサイト*保守速報>2017年05月24日
【悲報】民進党・近藤昭一議員、国会の真っ最中に延々とスマホを弄り続け、終いにはツイッター更新
http://hosyusokuhou.jp/archives/48793285.html
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国会質疑中、質疑そっちのけでスマホをいじりまくってTwitterを更新しているのが、我々が標的とする近藤昭一君です。

スマホをいじったり、あくびをしたりとやる気のなさが伝わってきますね。近藤君よ、君には国民の代表者たる自覚があるのかい?君は、電車に乗ったらゲームに打ち興ずるスマホ人と同様に公心が蒸発しきってしまっていて、「公」のことなんか一度も考えたことのない人種なのでしょう。というよりも、日本の国体を破壊すべくこれまで活動してきた男です。そもそも「公」の意味なんてわかるわけないのですが・・・。

総選挙が近づいてきましたが、我々はこの男を落選させることができるのでしょうか?選挙の行方をしっかりと見守りたいものです。仮に当選したとしても、我々は落選させるまでは手を緩めることはしませんので、近藤君よ、覚悟しておきなさい。

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◎【日いづる国より】西部邁、「公」が迷走した戦後日本[桜H28/9/9]
https://www.youtube.com/watch?v=3wgAxlp3XBc&t=1019s

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(報告者 Y.U)

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