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[第37回 合同ポスティングご報告]第229回(2017/11/27)*教育勅語

kage

2017/11/28 (Tue)

[第37回 合同ポスティングご報告]第229回(2017/11/27)

合同ポスティング運動テンプレ99
*私たちは、テレビ・新聞が隠ぺいする真実を届けます!「合同ポスティング運動」
*朝・昼・夕・夜の情報番組、テレビのワイドショーと東海地区で圧倒的なシェアを握る中日新聞に騙されていることに気付いてほしい!


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本日は12名の有志の参加を得て、

・外国人雇用特区反対チラシ
・春節祭開催反対チラシ

のポスティングが実施されました。



【春節祭反対チラシ】
2013年 Youtube【有本香】中国の日本乗っ取り計画の実情!文字起こし
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2017年 名古屋 春節祭 反対運動
2015年 犬山 春節祭 反対運動
2014年 犬山 春節祭 反対運動 報告
2013年 名古屋 春節祭 反対運動

本日のポスティングの告知の際、教育勅語のチラシをポスティングするとお知らせしましたが、都合により今回は教育勅語のチラシを見送ってその代わりに春節祭開催反対チラシのポスティングをしました。
来年度は1月6日(土)〜8日(月)の3日間に春節祭が催されますが、我々も例年通り抗議を行う予定です。詳細が決まり次第、本ブログにて告知させていただきます。


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教育勅語には伝統的な日本人の12の徳目が書かれていますが、現在は学校で教育勅語を教えませんし、多くの人は「教育勅語は古臭くて、軍国主義に走った元なんでしょ?」程度の認識なのだろうと思います。しかし、そこに書かれていることは、現在にも十分に通用する普遍的なことばかりなのです。教育勅語が軍国主義を育てたなどは全くの誤りですし、たとえ戦争中といえども敵国民を思いやる日本人の国民性を育てた、世界に誇るべき日本の宝です。今後、我々がポスティングする教育勅語のチラシを楽しみにしてください。

【凸電 抗議!】あのビーチ前川(前川喜平=元文科省事務次官)が西尾市で講演会【西尾市&碧南市の教育委員会が後援】

さて、日本における教育行政の最高機関といえば文科省ですが、先日、本ブログでもお知らせした通り、12月3日(日)に前文部科学事務次官の前川喜平氏が愛知県は西尾市にやってきて講演会が開かれます。前川氏は「あなたは今、自分に正直に生きていますか?キミは今、自分らしく生きているかい?」とのメッセージを発しているようですが、この前川氏は、週4回の出会い系バー通いをしていたとされる人物であり、文部科学事務次官の立場でありながら何故そのような場所に入り浸るのかとの追及に対して「女性の貧困を実地視察調査した」と言ってのけた男です。西尾市と碧南市の教育委員会がそんな人物の講演会の後援をするというのは一体どのような了見なのでしょうか?我々はこれを見逃すわけにはいきません。

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ビーチ前川講演会 援交
http://www.sankei.com/politics/news/170530/plt1705300016-n1.html
ビーチ前川 援交
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前川氏が行っていたとされる行為は「援助交際」と呼ばれるものです。実際に前川氏がどこまでの行為に及んだのかはわかりませんが、ここで「人間にはどこまでの自由が許されるのか?援助交際は許される自由の範囲内か?」という一般論について考えてみましょう。よく、「他人に迷惑をかけるな」といったことが言われます。これを言い換えると「他人に迷惑をかけるような自由は許されない」となりますし、さらにこの考えを推し進めると「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい、という自由が人間にはある」といった自由論にも発展するでしょう。一例を挙げて、暴走族が爆音を立てて公道を走り回るという行為は許される自由の範囲内かどうかを考えてみましょう。そのような行為は明らかに他人に迷惑をかけていますし、いくら爆音を立てて走り回るのが当人にとっては快感であるとしてもそんな自由は許されない、との意見にはほとんどの人間が賛同すると思います。実はこの「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい、という自由が人間にはある」という自由論は、イギリスの哲学者であり経済学者でもあったジョン・スチュアート・ミルが主張したものです。

なるほど、ミルの自由論はもっともらしく聞こえるのですが、ではその自由論に沿って「援助交際」は許される自由の範囲内かどうかを考えてみましょう。街角において、大人と少女の間で三万だ、五万だ、というやりとりの後に契約が成り立ち、大人の方は己の欲望を満たし、少女の方はしばしの小遣いにありつけるというわけですが、この場合、需要と供給のバランスがとれた上での行為と言えますし、一見して誰にも迷惑はかけていません。すると、ミルの自由論から言えば、援助交際は許される自由の範囲内ということになってしまいます。援助交際という行為に対して多くの人間が感じる不道徳感をいかにして説明するかとあがいてみても、ミルの自由論では上手く説明できないのです。「四の五の理屈はいらない。大人たる者が少女を買うことなどしてはいけないし、昔からそのように決まっているのだ」と叫んだとしても、少女に「私は誰にも迷惑をかけてはいませんよ!」と返されれば返す言葉もないでしょう。

ところが、「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい、などという自由論は許されない」と言い放った人物が過去にいるのです。かの有名な福沢諭吉です。福沢は「他人に迷惑をかけなければよい」ということにして仕出かした己の振る舞いが、将来に生まれてくるであろう子孫に対して迷惑をかけてはいやしまいか、少しは考えてみろ、と言うのです。つまり、今を生きる我々が、社会を援助交際がはびこるという乱雑な状態にしてしまったことについて子孫に申し訳が立つのかどうか、という視点が必要であり、国柄を守るためには、今を生きる人間のみならず、将来に生きる人間にも思いを馳せるのが真っ当な人間のあり方である、と福沢は説くのですが、これはその通りでしょう。

ミルの自由論にしても、「他人」を「現在に生きる人間のみならず、将来に生きる人間をも含む」として捉えれば、ミルの言説にも正当性が宿るというわけです(ミルがそこまでの洞察をしていたのかどうかは別の話です)。すなわち、人間は、過去から未来へと続く歴史の連続性に思い至ることではじめて真っ当な感覚を持ち得るのです。そのように考えると、援助交際なるものが許される自由の範囲内かどうか、といった問いにも簡単に答えられることでしょう。

前文部科学事務次官の前川氏には次のように問いたいのです。あなたの言う「自分に正直」とは「自分の欲望に正直」という意味ではないのですか?確かに、中年の男性からすれば、街角に溢れる少女と契りを結びたいという誘惑は強烈ではありましょうが(寧ろ、肉体的には健全でありましょう)、そんな「自由」を行使することが子孫に対して迷惑をかけているという自覚を持つべきではないのですか、前文部科学事務次官殿。文科省という、教育行政の最高機関に勤めていた人間が「自由」を履き違えてそんな自由を行使していたのは恥ずべき振る舞いではないのか、一介の草莽に過ぎない私のような者ですら、そのように思うのです。

何はともあれ、前川氏が講演会でどのようなお話をされるのか興味津々です。講演会に参加される方は、是非とも感想を教えてくださいませ。

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国民の道徳 西部 邁【著】/新しい歴史教科書をつくる会【編】
国民の道徳
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(報告者 Y.U)

[第37回 合同ポスティングご報告]第229回(2017/11/27)*教育勅語

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