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[第39回 合同ポスティングご報告]第233回(2018/1/27)*最後の西部節~リベラルとかデモクラシーを有り難がりなさんな

kage

2018/01/29 (Mon)

[第39回 合同ポスティングご報告]第233回(2018/1/27) 平成30年

合同ポスティング運動テンプレ99
*私たちは、テレビ・新聞が隠ぺいする真実を届けます!「合同ポスティング運動」
*朝・昼・夕・夜の情報番組、テレビのワイドショーと東海地区で圧倒的なシェアを握る中日新聞に騙されていることに気付いてほしい!


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本日は11名の有志の参加を得て、

チラシA 近藤昭一落選チラシ(特アの工作員 近藤昭一)
チラシB 移民反対チラシ(『外国人雇用特区』に断固反対)


のポスティングが実施されました。

本日は今年初のポスティング活動となりますが、この名古屋でも前々日、前日と雪に見舞われるという記録的な寒波がやってきている最中のポスティングとなりました。しかし、そんな寒さの中でもポスティングをやっていると少しずつ体が温まってきて、楽しくポスティングをすることが出来ました。

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何でこんな気候の中、我々がポスティングに精を出すかというと、この男(近藤昭一)を落選させるためです。

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2018年 近藤昭一、新年のご挨拶
https://www.youtube.com/watch?v=q7XM1Dfdfbk

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*01
近藤昭一は上の動画で、「草の根民主主義」「原発ゼロ」「憲法9条を大切とする平和国家」「ジェンダーフリー」といったことを訴えています。近藤昭一はリベラルの会の代表を務めていることからも明らかですが、いわゆるリベラル派と呼ばれる国会議員です。このリベラルliberalという言葉ですが、これは一体どのような意味かと問われると、きちんと答えられる人は意外と少ないのかもしれません。

*02
さて、アメリカはリベラルを独特に定義しました。アメリカは黒人奴隷がいた社会ですが、奴隷を解放liberateする、に始まって、抑圧からの解放、貧困からの解放、といった具合に、「リベラル」に「解放」の意味付けをしたのです。

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チャンネル桜
夢を紡いで 西部邁
【夢を紡いで #2】最後の西部節〜リベラルとかデモクラシーを有り難がりなさんな[桜H30/1/26]
https://www.youtube.com/watch?v=fp2UbUdEx7Y&t=9s

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*03
よって、リベラル派の政策と言えば、低所得者への社会保障を充実させよう、といったものになります。そういえば、昨年に立憲民主党から出馬した時の近藤昭一のポスターにも「ともに生きる社会を!」と大きく書かれていましたね。

*04
上記のようなリベラル論がアメリカで流行ったのですが、歴史を辿ると、アメリカ建国よりも遥か昔、アメリカ的リベラル論とは真逆の考えが提出されていました。宗教革命の中心人物であったマルティン・ルター(1483〜1546年)は、「聖書に戻れ」と訴えました。ルターは人間の自由意志を否定し、神の命令たる聖書に沿って生きるべきだ、そこには人間の自由など入る余地もない、と説いたのです。

*05
人間は過ちの多い生き物ですが、そんな不完全な存在でありながらも様々な状況に何とか対応しながら生きるより他ありません。過去に前例のないような状況に不幸にも出くわしたならば、知恵を振り絞って何とかそれに対する解を出して困難に挑まなければならないのです。たとえそれが誤った解であったとしても、です。よって、人間の自由意志を完全否定したルターはあまりに現実に向き合っていなかったのでは、と言わざるを得ません。しかし、そんな不完全な存在たる人間に「全幅の自由を与えよ」というアメリカ的リベラル論もまた逆に放縦すぎるというものです。どちらも行き過ぎなのですし、人間の取り得る道はそれら二つの道を上手くバランスさせる以外にはなさそうです。

*06
そういったバランス感覚を持ち合わせていたのがデジデリウス・エラスムス(1466〜1536年)でした。「聖書も大事であるし、聖書に基づいてこれまでに醸成されてきた国の規範も大事だ。しかし、人間が様々な実践をする際には、そういった伝統をどのように解釈し、今ある状況--そこには、これまでにはない未知の状況も含まれる--にどうやって対処すべきかが問題であるし、そこには人間の自由意志というものが必要である」とエラスムスは説いたのです。ルターよりも柔軟で、説得力がありますね。

*07
そして、ホセ・オルテガ・イ・ガゼット(1883〜1955年)は、そのようなバランス感覚を次のごとく表現したのです。「真の自由主義が、歴史主義であることを発見したのはイギリス人である」と。つまり、「自由」とは、一見して己の欲望を満たさんとする身勝手で独りよがりの快楽を追及する行為のごとく捉えられがちであるが、そうじゃない。真の「自由」とは、歴史--すなわち、これまでに先人が培ってきた伝統や価値観--に根ざしたものでなくてはならないし、今を生きる人間が過去を無視して勝手に「自由」を謳歌することなど出来ないのである、とオルテガは言い放ったのです。これこそまさに至言ではないですか。

*08
イギリスは長い歴史を持つ国であり、これまでに培われてきた歴史・伝統が豊富にある国です。それらの中には、今の時代からしたら不合理なものも当然のことながら含まれるでしょう。しかし、今を生きる人間がそのような不合理を「無駄だ」とばっさりと切り捨てるわけにもいかないのです。なぜなら、今を生きる人間とて限られた状況の中でのみ生かされている不完全な存在ですし、後世の人間が冷静に振り返れば今を生きる人間が今まさに不合理を働いているかもしれないのです。今を生きる人間に万能の力を与えてしまったら、それこそ何もかも絶えず塗り替えられてしまうというニヒリズムへと堕落してしまいますし、それは歴史の忘却に他なりません。

*09
哀しいことに、アメリカはそのような歴史を持たない国なのです。一方、日本は世界で一番長い歴史を持つ国ではありますが、先の大戦で歴史なきアメリカにたった一回負けただけで歴史を忘れてしまい、今を生きる俺たちが一番だ、と言わんばかりに新しいものに飛びつくという見苦しい人種となり果ててしまったのです。そして、政治においても「何々改革だ〜」と次から次へと新しいものに飛びつき、しかもそれら改革のほとんど全てが失敗に終わったのです。そんな馬鹿なことを散々にやり続けたのが、この30年間に渡る平成という時代なのです。

*10
今を生きる我々は、先人の意思を十分に尊重しながら意思決定しなければなりませんし、エラスムスやオルテガの言うことはごもっともです。そしてさらに、「今を生きる人間」といっても、それこそ人の数と同数の様々な意見がありますし、そういった種々雑多な意見を集約して少しでもましな解答に辿り着くにはどうしたらよいかを考えなければなりませんが、そこでデモクラシーの登場と相成るのです。

*11
デモクラシーdemocracyはよく「民主主義」と訳されますし、近藤昭一も好きな言葉ですね。しかし、ここに現れる「主」という漢字、この意味を考えると実は非常に恐ろしいものがあるのです。「主」は「主権」の意味でありますし、現行憲法にも「主権は国民に存する」とあります。現行憲法の原文(英文)では主権sovereign powerとなっていますが、このsovereignとはほとんど宗教用語であって、「崇高なる」「絶対なる」「超越的なる」といった意味です。しかし、今を生きる我々が「崇高」とは一体どういった了見でしょうか。今を生きる我々は、過去を生きた人々、及び、これから生きるであろう人々の間のバトンを渡すという(長い歴史の視点に立ってみるとほんの一瞬の過渡的な)存在に過ぎないのです。そんな我々が、神をも畏れぬ力などあるわけないではありませんか!「民主主義」とは、実は非常に傲慢な物言いなのです。

*12
democracyのdemoとは民衆(ギリシア語でいうところのdemos)という意味ですし、デモクラシーdemocracyとは本来は「民衆政治」と訳すべきだったのです。すなわち、大勢の民衆が物事を決める際には多数決で決めよう、というだけの話なのです。ここにはsovereignといった畏れ多いニュアンスは全くありません。つまり、単なる「方式」に過ぎないのです。

*13
ここで留意すべきは、多数派がいつも正しいとは限らないということです。もしも多数派に正当性が宿るとするならば、民主主義を取り入れた社会は今頃は天国へと近づいているはずですが、実際はその逆の地獄へと向かっているとなると、多数派はおおいに間違いうるということです。そして、民衆とは非常に厄介な性質を宿していて、嘘話(デマゴギーdemagoguery)に易々とたぶらかされる愚かな存在なのです。つまり、民衆(demos)は容易に衆愚(ギリシア語でいうところのochlos)に転じ得るのです。実際、マスメディアの作り出す嘘話に踊らされて、世論調査の結果など一週間もすればがらっと変わってしまうではないですか。それが民主主義の実態なのです。民主主義など、その程度のものなのです。

*14
ですから、民主主義において必要なのは、議会における活発な議論であって、人間は不完全であるがゆえに他者との議論を通じて少しでもまともな道を選ばんと努力すべきなのです。また、一度決めたことであっても時代遅れとなったならばそれを見直すという地道な努力を延々と続ける宿命にあるのであって、なにも民主主義そのものがキラキラと光る素晴らしいものという話ではないのです。民主主義はあくまで手続きであり、何よりも議論の中身が問われるのです。そしてさらに言うと、議会で議論する人間を選出する側の人間が賢明でなければ、議員として相応しくない人物が議員に選ばれてしまって民主主義は有効に機能しないのです。(←近藤昭一に一票を投じた愛知3区の有権者の皆様、わかっていますか?

*15
ここで、立憲民主党にはせ参じた近藤昭一をはじめとする政治家に言いたい。あなた方こそ、例えば安保法制の時に「戦争法案」などとレッテルを貼って議会における議論を、すなわち、民主主義を否定してきた方々なのではないのですか?「民主主義はすばらしい」などと民衆におべっかを使うその一方で、その民衆に選ばれし者が、議論する場であるところの議会を冒涜したのであり、それはすなわち議員による議会の否定、議員の自殺行為なのだということを肝に銘じていただきたい。

*16
以上のようなことに思いを馳せたならば、「リベラル」だの「デモクラシー」だのといった言葉なんぞ、全く有り難がって頂戴するような代物ではないということが簡単に理解できるのではないでしょうか。近藤昭一君には(馬の耳に念仏とは知りながらも)是非とも老師ニシベの言葉に耳を傾けていただきたい、と、一介の草莽の身ではありますがここにアドバイス申し上げます。

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先日、西部邁先生が逝去されました。
今回、西部先生が(おそらく)最期に出演した動画を見ながら、自分なりに(自身の創作も適宜挿入しながら)活字にした次第です。西部先生にはいろいろなことを教わりました。西部先生の肉体は滅んだとはいえ、(本物の)思想家の思想というものは肉体亡き後も人々の精神に働きかけて生き続けるものなのです。その思想を継承するのが残された者の使命であります。西部先生、今まで本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。

(報告者Y.U)

[第39回 合同ポスティングご報告]第233回(2018/1/27)平成30年

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