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[第40回 合同ポスティングご報告]第235回(2018/2/24)*憲法改正

kage

2018/02/26 (Mon)

[第40回 合同ポスティングご報告]第235回(2018/2/24) 平成30年

合同ポスティング運動テンプレ99
*私たちは、テレビ・新聞が隠ぺいする真実を届けます!「合同ポスティング運動」
*朝・昼・夕・夜の情報番組、テレビのワイドショーと東海地区で圧倒的なシェアを握る中日新聞に騙されていることに気付いてほしい!

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本日は8名の有志の参加を得て、

・「ありがとう自衛隊、憲法に自衛隊を明記しよう!」チラシ

のポスティングが実施されました。

我々はこれまでに愛知3区の有権者が国政に送り出した近藤昭一という男を落選させんとポスティングに励んできましたが、今回からは憲法改正の国民投票に向けて国民の意識を高めるべく活動をしていきます。

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私は憲法改正にもちろん賛成ではありますが、形式的に改正することには大した意味はない、とも思っています。

今の憲法が出来た経緯を国民が知り、それが日本の国柄には全くそぐわない、憲法としての資格のない「占領統治法」であるということを国民が理解できたときにはじめて「戦後レジームからの脱却」に大きく近づいたことになるのだ、という立場です。また、そのように国民が真に戦後の欺瞞から目覚めたならば、憲法問題などどこかに吹き飛んでしまうだろう、とも思っています。今の憲法は論ずるにも値しない代物と気付いたならば、それはもう問題ですらないのですから・・・

というわけで、まずは国民が憲法について正しく学ぶ必要があるのです。そこで西部先生の動画を紹介しながら、動画で述べられていることを簡潔にまとめたいと思います。西部先生の肉体が滅んでから一カ月余りが経ちますが、こうやって動画を拝見していると「西部先生は僕の中で今でも生きている」と思わされますし、今さらながら西部先生の偉大さに感服するものです。では、西部ワールドをたっぷりとお楽しみください。

■憲法論−特別講義【1】西部邁ゼミナール 2013年8月3日放送
https://www.youtube.com/watch?v=UP3jHpOvVM0&t=55s


■憲法論−特別講義【2】西部邁ゼミナール 2013年8月10日放送
https://www.youtube.com/watch?v=yVpqIq7-NkQ


■憲法論−特別講義【3】西部邁ゼミナール 2013年8月17日放送
https://www.youtube.com/watch?v=9bfGOA63uqQ


一言で「憲法」といっても、その中には「根幹」の部分と「枝葉」の部分に分かれます。

自衛隊を国防軍とするかといった問題は当然のことながら「根幹」に関わる超重要事項でありますが、そういった「根幹」の部分を今の憲法の中で生きている人間が変えるというのは非常な矛盾を秘めています。なぜなら、憲法とはそもそも国家の歴史・慣習・伝統を踏まえた「常識」であるべきものです。そこにはずっしりと「日本」がなければなりませんし、「日本人」とは、今を生きる日本人だけでなく、過去に生きた日本人、未来に生きる日本人を全て含んでいるのです。今を生きる日本人が勝手に日本の「根幹」を変えていいわけがありません。もちろん、「枝葉」の部分については時代の変化に即して変えていけばいいのかもしれませんが、「根幹」の部分はそもそもそう易々と変えるべきものではないのです。そう考えると、国会議員の2/3から1/2にハードルを下げて変えやすくしようなどという発想自体が国家の連続性を軽視する態度といえるでしょう。しかし、日本には他国にない特殊事情が存在してそうも言っていられないという側面があるのです。と言うのも、我が国の今の憲法はそもそもそういった国柄を表しているかといえば、実は全くそうはなっていないのです。なぜなら、今の憲法はGHQによって無理やりに押し付けられたものだからです。

今の憲法(日本国憲法)の前には、我々の先人が作った大日本帝国憲法がありました。いわゆる明治憲法です。

明治憲法には我々日本人の「根幹」の部分がしっかりと書かれていたのですが、日本は大東亜戦争に負けて明治憲法をいとも簡単に捨てさせられ、その代わりに日本国憲法を押し付けられてしまいました。この時点で日本の「根幹」が思いっきり変えられてしまったのです。ですから、日本国憲法にはそもそも日本の「根幹」がありませんし、日本国憲法は本来の「憲法」の資格すら有していない「占領統治法」に過ぎないのです。ここが改憲問題を考える上での最重要ポイントですし、他国によって国家の「根幹」を無理やりに変えられたことに対して我々日本人は激しい怒りの感情を抱いて然るべきなのです。

さらに、日本国憲法には「根幹」がないだけでなく、今や空洞化しているのです。

なぜなら、第九条で戦力を持ってはならないと謳っておきながら、(不完全ながらも)自衛隊という戦力を持つに至っているからです。当初、GHQは日本に軍備をさせまいとして日本国憲法を押し付けたのですが、1950年に朝鮮戦争が始まってからは日本を防共の砦にしたく(自衛隊の前身の)警察予備隊を発足させました。そして今や、9割以上の国民が自衛隊に良い印象を持っている(平成26年内閣府の世論調査では「良い印象」が92.2%、「悪い印象」が4.8%)となると、日本国憲法はもう完全に破綻しているのです。「お前はすでに死んでいる」というわけです。そんな日本国憲法であれば、じゃあそこには一体何が書かれているのか、と具体的に知りたくなりますが、「前文」にその性質が如実に現れているのです。「前文」にメスを入れると日本国憲法が見えてくるのです。

日本国憲法の前文は非常に長く、今は亡きソビエト連邦の憲法の前文ほどではなくともかなり長い前文なのですが、ここに日本国憲法の正体が垣間見えるのです。

GHQは、日本を自らの都合の良い国にしようとして、日本国という建築物をブルドーザーで解体して更地とし、そこにアメリカ印の建築物を建てようと目論んだのです。新たに建物を立てるには設計図が必要ですが、その設計図の中心が日本国憲法の前文なのです。すなわち、日本国憲法の「前文」とはアメリカニズムの設計趣意書なのです。ですから、長々といろいろなことを書き連ねているのです。

日本国憲法の前文は大きく3つに分かれています。

その第一番目に「国民主権」なるものが登場して「主権が国民に存する」と書かれています。「民主主義」なるものが持てはやされる土壌となっているのですが、ここで考えるべきは「国民」とは何か、ということです。ところが、日本国憲法には「国民」の何たるかが全く示されていないのです・・・

本来、日本国民とは、日本という国土に生まれて日本の歴史がもたらした価値観・規範・常識をそこそこ身に着けている、ないしは、そこそこ気にしているという人々を指すはずです。

実際、戦前において日本人は日本の歴史に根差した謙虚さを有する人々でありました。しかし、GHQは、日本人のそういった価値観を全て否定して日本の連続性を断ち切ろうと目論んだのです。過去の歴史などどっかに追いやってしまって「多数派が切実に欲望することは、多数派に与えられるべき。それが主権の意味だ」といったエゴイズムに走らせて我が身のみが可愛いという腑抜けが増えれば、日本が再び牙を抜くこともないだろうというGHQの計算がそこにはあるのです。そうやって「あれよこせ、これよこせ」の風潮が蔓延してしまったのです。

そして、第二番目は「平和主義」です。

そこには「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と高らかに謳われているのですが、これは一体何を意味するのでしょうか?ここで重要なのは「平和を愛する諸国民」とは一体誰ぞや?ということですが、GHQがこんな文章を喜んで押し付けてくるとなると「平和を愛する諸国民」とは実はアメリカと言いたいのだろう、と簡単に推測できるわけです。つまり、日本国憲法を押し付けたい側の「俺たちは公正で信義に厚いのであるから、お前らは生存と安全を俺たちに委ねろよ」といったメッセージなのです・・・ここまで来ると、頭に血が上ってしょうがないというお方もおられるでしょうが、ここはこらえて第三番目も見ておきましょう。

「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とした上で「政治道徳の法則は普遍的」と畳みかけています。

しかしアメリカ様よ、あなたはこれまでに何をやってきたのでしょうか?アメリカという国は、ヨーロッパから逃れ出た人々が新大陸に渡って数多くのインディアンを殺戮したあげくに築いた人口国家です。そこには歴史が全くありませんから、歴史の代わりに(設計趣意書としての)人口的な理念・理想を築いた(あるいは、築かざるをえなかった)国家です。そういった設計主義を数千年の歴史を持つ我が国に植え付けんとして日本国憲法を押し付けてきたのです。つまりアメリカは、自らの人口的な建国が日本においても通るだろうとの思いで前文を書き上げたのです。それが「普遍的」の意味なのです。

戦後、アメリカは日本だけではなくイラクやアフガニスタンで侵略的行為を繰り返してきましたが、日本人には是非ともこういった経緯を知っていただいて「アメリカよ、ふざけるな」という気概を持ってもらいたいのです。

はっきり申しましょう、アメリカに押し付けられた憲法を70年以上も後生大事にしてきた我が国は「恥ずべき国家」なわけです。

以上のようなことを踏まえれば、96条を改正してハードルを1/2に下げて、といった議論は「法的」には必要かもしれませんが、そもそもこんな憲法に振り回されていること自体が恥ずかしい、という気持ちを持つことが日本人としての第一条件のはずです。もちろん、戦後70年以上も日本国憲法下でいろいろな法律が制定されて運用されてきたことを考えれば、いかに従来の法律と整合性をとりながら日本国憲法を改正するか、といったことにも知恵を絞らなければなりませんが、それは問題の本質ではありません。

憲法改正が現実味を帯びてきた今くらい、憲法を国民的関心事としなければならない時はないのです。

(報告者 Y.U)

[第40回 合同ポスティングご報告]第235回(2018/2/24)平成30年

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